4/16/2018

サンフランシスコ エッセイ まえがき

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まえがき

 私がアメリカに行きだしたのは1979年の夏ホームステイで。親が家で英語を教えていたため、国際交流で農家に1ヶ月滞在した。その後から何度も行ったり来たりしたり、滞在したりしてほぼ通算10年近くアメリカに行っている。その中でも長かったのは、1989-1993年の時に留学して南カリフォルニアに映画の勉強を志した時。ちょうどバブルがはじけたり、家庭の事情で語学と1年半大学で勉強したきりで帰国してしまった。留学をした理由は元はと言えば病気で大阪芸大の文芸学科を中退してしまったこと。「中退にこだわる必要もない」と、励ましてくれる友人もいたが、色んな挫折とおおらかなアメリカの気質がアメリカに住むことを憧れさせた。その後、いつかまたアメリカに戻って映画の勉強をするため、と思い、独自に写真の勉強をして、旅行しては、コンペに応募していた。
 サンフランシスコにまた行くようになったきっかけは離婚して、落ち込んでいた時から少し解放されて、公募展にでも出そうかと、バックパッカー旅行に行った時、カメラを盗まれてしまい、出す写真がなく、たまたま来ていた、サンフランシスコの芸大の夏の奨学金の募集に応募して、見事奨学金をゲットしたことからだった。2000年の夏に奨学金で取れるマックスの単位数の3教科を取った。大変だったが自分としては色々と成果があった。
 それで、翌年 (2001)年の夏から再度正式に芸大に出願して、写真と美術を学んでいた。だが、2001年のテロで雰囲気が一変して、サンフランシスコを一度離れてニューメキシコ州に行ったが、結局友人もいたサンフランシスコに舞い戻ってSan Francisco Art Instituteで学んでいた。だが、学費も高く、テロのせいで奨学金も取れなくなったためと、自分の気持ちがアートどころではなくなってしまって、結局再度2003年に帰国することになる。
 アパートをシェアーしていた友人と会いたかったこともある。中途半端では終われない性格もある。
 一時は日本の芸大に行っていたが、結局奨学金をくれて自分を救ってくれたサンフランシスコへの気持ちが忘れられず、オンラインで履修できる、Academy of Art Universityに再入学して、10年かけて卒業した。
 それまで2009年まで毎年サンフランシスコには足を運んでいた。
 授業を履修するためだったり、ただブラブラと友達と過ごすためだったり、アート系インターンをするためだったりいろんな理由をつけて行き来していた。
 本書は、旅行エッセイを書くとしたらどこについて書くと思った時に、やっぱり2000年からずっと何かにつけターニングポイントに助けてくれた、愛しきサンフランシスコについて書き残しておこうと思い、2015年の秋に取材旅行をして最新の情報も織り交ぜて、わからないところはネットで調べて書いたものだ。なので、情報が前後するところもあるがどれも自分が体験して、歩き回った情報だ。むしろ2000年以前のサンフランシスコとテロ後のアメリカでは人々の思いも経済も全く変わってしまっている。その比較論としてもお読みいただけたら嬉しく思う。ったのは、1989-1993年の時に留学して南カリフォルニアに映画の勉強を志した時。ちょうどバブルがはじけたり、家庭の事情で語学と1年半大学で勉強したきりで帰国してしまった。留学をした理由は元はと言えば病気で大阪芸大の文芸学科を中退してしまったこと。「中退にこだわる必要もない」と、励ましてくれる友人もいたが、色んな挫折とおおらかなアメリカの気質がアメリカに住むことを憧れさせた。その後、いつかまたアメリカに戻って映画の勉強をするため、と思い、独自に写真の勉強をして、旅行しては、コンペに応募していた。
 サンフランシスコにまた行くようになったきっかけは離婚して、落ち込んでいた時から少し解放されて、公募展にでも出そうかと、バックパッカー旅行に行った時、カメラを盗まれてしまい、出す写真がなく、たまたま来ていた、サンフランシスコの芸大の夏の奨学金の募集に応募して、見事奨学金をゲットしたことからだった。2000年の夏に奨学金で取れるマックスの単位数の3教科を取った。大変だったが自分としては色々と成果があった。
 それで、翌年 (2001)年の夏から再度正式に芸大に出願して、写真と美術を学んでいた。だが、2001年のテロで雰囲気が一変して、サンフランシスコを一度離れてニューメキシコ州に行ったが、結局友人もいたサンフランシスコに舞い戻ってSan Francisco Art Instituteで学んでいた。だが、学費も高く、テロのせいで奨学金も取れなくなったためと、自分の気持ちがアートどころではなくなってしまって、結局再度2003年に帰国することになる。
 アパートをシェアーしていた友人と会いたかったこともある。中途半端では終われない性格もある。
 一時は日本の芸大に行っていたが、結局奨学金をくれて自分を救ってくれたサンフランシスコへの気持ちが忘れられず、オンラインで履修できる、Academy of Art Universityに再入学して、10年かけて卒業した。
 それまで2009年まで毎年サンフランシスコには足を運んでいた。
 授業を履修するためだったり、ただブラブラと友達と過ごすためだったり、アート系インターンをするためだったりいろんな理由をつけて行き来していた。

 本書は、旅行エッセイを書くとしたらどこについて書くと思った時に、やっぱり2000年からずっと何かにつけターニングポイントに助けてくれた、愛しきサンフランシスコについて書き残しておこうと思い、2015年の秋に取材旅行をして最新の情報も織り交ぜて、わからないところはネットで調べて書いたものだ。なので、情報が前後するところもあるがどれも自分が体験して、歩き回った情報だ。むしろ2000年以前のサンフランシスコとテロ後のアメリカでは人々の思いも経済も全く変わってしまっている。その比較論としてもお読みいただけたら嬉しく思う。

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