4/16/2015

サンフランシスコのバス 2. バスドライバーの流儀

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     2 バスドライバーの流儀

 バスドライバーさんの接客について、アメリカのでも基本的なバスの運転手の規則や乗客の対応の仕方など決まっていると思うが、ドライバーによって乗客への対応がかなり個性が違うと思う。例えば、降りる時にお礼を言っても無視する人や、一人一人にちゃんと挨拶をしてくれる人、顔見知りとだけ長々と話をしながら運転している人など。サンフランシスコのバスはバスの前から乗車して運賃を先に払うシステム。時折後ろから無賃で乗車して来る人がいるが、貧しそうな移民なら黙って乗せてあげる運転手もいれば、頑として乗せない人もいる。ただ犯罪に近い、暴力や口論沙汰なら運転席にある連絡ボタンから警察を呼ぶ場合もあるが、無賃乗車で警察を呼んだ運転手は見たことがない。日本なら「きっちり運賃を払って頂きます」、と言われそうだが、無賃乗車を許している理由は、「多文化、多民族のサンフランシスコならではの寛容さ」、と捉えられているようだ。
 サンフランシスコの市バスは、路線によって長距離を走ることになるが、住んでいた時に驚いたのは、乗っている途中でいきなりドライバーが休憩しだしたことだ。バスに乗っていて、いきなりカルトレインのターミナル駅の脇で停車して、ドライバーが降りてしまった。一瞬「故障かな?」、と思って待っていたら、その男性運転手はもう一度バスに乗って来て、
 「今から僕は5分休憩だから、急ぐ人は降りて他のバスを捕まえて下さい。」
と言って、またバスを降りて、タバコを吸い出した。(運転手の休憩に付き合わされるのか)と思ったが、カルトレイン駅の周辺ではあまりバスも来ないため、そのまま乗って待っていた。今思うと、一ブロック歩けば、ミュニの路面電車の乗り場もあったが。結果的にバスが停まりやすい、交通量の少ないところで休むことになるので、あまり他のバスが通らない場所になることがある。日本だと始発駅や営業所などで運転手が交代をして休憩をすると思うが、サンフランシスコのバスは時刻表がないため、運転手の休みやすいところで、それぞれの判断で休むようだ。どちらかというと、個人タクシーのように、自分のバスの運転には自分で責任を持つ、ということなのだろう。日本では「お客様第一」とか言われるが、サンフランシスコでは働く人の意志も優先されている。それは、バスドライバー以外の職業でも思うことがあった。乗客の方からすると、乗客が急いでいるかどうかは無視されているようだが、運転手の立場からすると、運転手の疲れがたまらないように休憩しながら走れるのでいいと思った。その時乗っていた乗客も誰一人として文句を言う人はいなく、大人しく待っていて、急いでいる人は自主的に降りて、どこかへ行ってしまった。

 日本では「空気を読む」人が好かれがちだと思う。私は空気を読み合う人間関係があまり好きではない。日本では考え方似ていると話が円滑にいくと感じる人が多いが、多文化、多民族国家のアメリカでは違っていて当たり前という考え方なので、相手によって対応を変える必要がおこる。サンフランシスコのバスの運転手が時折乗客と話している会話がある。中国系の乗客がバスの運転手の横にやってきて、立って目配せをしている。日本人だったら、(この人は次で降りたいのかな)、と、想像するかもしれない。だがサンフランシスコの運転手は平気で次のバス停を通り過ぎてしまう。その乗客は、
 (え!)、と思って、
 「今のバス停で降りようと思ったのに!」と抗議をする。すると、運転手は必ずと言っていい程、
“I am not a psychic.”(私は超能力者じゃないよ。)「降りたければベルを鳴らすか、口でそう言ってくれないと。」と言う。
 「ベルを押して下さい。」と言うのはわかるが、「超能力者じゃない」というツッコミにいつも笑いそうになる。アメリカでは自分がしたいことの意思表示をはっきり示さないと、余計なトラブルになるかもしれない。相手に空気を呼んでもらおうと考えない方がいい。

 黒人の運転手は特に個性が豊かだと思う。明るくて好き嫌いがはっきりしている。夕方のラッシュのバスの中で乗客が口々にわがままを言い合っているバスがあった時、黒人女性の運転手はマイクを使って明るく乗客の協力を促していた。
 彼女は、
 「みんな隣の人と挨拶して友達になって、譲り合ってね!」
 なんか幼稚園の先生が幼稚園児に語りかけるような感じで可愛いと思ったが、(多民族で相容れない市民が馴染んで行くのはこういうところからなんかな?)、と少し感動した。乗客は手を叩いて、降りる時に「あなたの誘導素敵だったわよ。」と声をかけて降りて行った。逆に言えば、日本では毎日。「お疲れのところ」とか「傘をお忘れにならないように」とか言った、いろんな車内アナウンスが流れるのが自然になっているが、そういった「気遣い」の車内アナウンスがない国では、「アドリブ」の「気遣い」があった時にすごく感動する。

 そういった感動するドライバーもいれば、からかわれた思い出もある。初めてオークランドでバスに乗ろうとした時、バートの駅を降りてバス停を探していると、いきなりバス停に入ってきたバスを見つけたので、発車するのかと思って走って行くと、私に気づいたドライバーが走りかけて、諦めかけたら、また止った。また近づいて行くとまた走り出して、私が止るとバスを止める。結局バスのところまで来て乗り込んだら、
 「走って来るなんて、アハハ。」
 と笑っていた。都市部のサンフランシスコと違ってオークランドはのんびりしているからか、アジア人はせっかちだと思ってからかいたかったのか、ようするに遊ばれていたようだ。そのドライバーにしたら、必死で走って来る感じが面白かったのか、かなりウケていた。日本では運転手が乗客をからかうなんて考えられないと思うが、それ以来、ベイエリアでバスに乗る時、乗れるかどうかわからない時はあえて走らないようにしている。



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