11/29/2017

本屋の話

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本屋の話

 本屋も最近では多少減ったが、サンフランシスコにはシティーライツ・ブックストアやグリーンアップルブックストアを始め様々な本屋があり、ある意味観光名所になっている。最近は、雑貨屋やギャラリーに本を置いている店もある。本もデザインの一部のようになっていて、シンプルな店内にオシャレなデザイン本や写真集などが置いてある。サンフランシスコにあるコロニクルブックという出版社は有名で、絵本やアート関係の本、料理本、サンフランシスコ関連の本などをたくさん出している。出版社だけでなく、モールの中に本屋もあり、カフェも併設していて、本のディスプレイもオシャレで本を横に寝かせて、お客がすぐに手にとって見やすいようになっている。

 サンフランシスコ文学の引き金となったのがビートニクという詩人のムーブメント。1914年から29年までの第一次大戦からその後の反戦運動、ドラッグ、ヒッピー、自由、といった発想から広まっていった。その中でもジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズといった詩人が特に有名で、ビート・ジェネレーションと呼ばれている。シティライツ・ブックスストアの近くに「ビートミュージアム」という小さな美術館があり、当時の詩人についての展示や本の販売もしている。美術館の2階に上がっていくと当時のサイケな音楽とともに詩人の経歴や写真が貼ってあり、サイケな時代の世界に吸い込まれそうになる。ビート・ジェネレーションに影響を与えたのは反戦運動だけでなく、ちょうど宣教に来ていた日本の曹洞宗(禅宗)は大きな影響を与えていて、ゲーリー・スナイダーの初めの奥さんも日本人で、禅宗に改宗し、一人で日本に来て京都の寺巡りや富士山に登った詩を書いている。今でも幾つか、zen道場があり、瞑想やお祈りをしている人達がいる。9・11過ぎてから、クリスチャンに疲れた人が禅宗に改宗したり、zen道場に通ったりする人がまた増えた印象がある。ハリウッドの映画で見てかっこいいと思ったのが、オープンマイク。主にイタリア人街のバーなどで夜やっているが、誰でもジャズバンドに合わせて詩を唄うことが出来る。場所によっては反体制のところもあったり、愛の唄を唄ったりするところもある。なんか、真面目に詩の朗読をするより、音楽に合わせてバーで詩を読むのが、かっこいいと思った。オープンマイクはビート・ジェネレーションの頃から脈々と続いている。


 アートの街サンフランシスコも、詩人の街が最初だったと言っても過言でなく、今でもシティライツやグリーンアップルなどの本屋で詩集のコーナーを持っている。州立大や芸大にもライティングの学科があり、ベイエリア出身、カリフォルニア州出身の作家が生まれている。シティライツブックストアに行った時、サンフランシスコをテーマにした本、サンフランシスコ出身の作家の本が1階の入った新刊本のコーナーに並んでいて、どれもこれも欲しくなった。気になったのは日系人の書いた本。アメリカ生まれの彼、彼女達が日本をどういう目線で描くのか気になった。Ruth Ozekiさんという人の本をチラ見したら、東京の女子高生がいじめに遭っていて祖母の過去を通して東日本の震災のトラウマを癒していくという内容で、アメリカにいながらにして、日本の震災テーマの本に出会えると思わなかったのでびっくりした。結局なんか生々しい気がして、Japantownというミステリーを買ってしまった。Japantownという本はタイトルだけで、(なぜジャパンタウンで事件が起こるのか?そんなに危険なところでもないのに?)と思って、興味を持った。まだ完読していないが、Japantownで殺人があったという話だが、購入の決め手は単純に主人公のアメリカ人が日本生まれで阪神ファンで阪神のキャップをかぶっているというところ。ベイエリア出身の作家と言ってもサンフランシスコだけでなく、いろんな民族や国をテーマにした内容の本があり、ペーパーバックの表紙のデザインもカラフルで、英語の本でも興味を持って読める本がたくさんあった。ベイエリア文学はサンフランシスコの文化が多様で他民族なことがわかる媒体の一つだ。

11/23/2017

観光客を装った彫刻

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観光客を装った彫刻

 美術館や街中の壁画だけでなく、市内には至る所に彫刻がある。
 市のプロジェクトなどで作られた巨大な彫刻が海沿いや野球場や公園に並んでいて、人々は当たり前のようにその間を歩き回る。ダウンタウンのホテルの前に銅の彫刻があり、女性がトランクを横に置いて休んでいる、個人所有の彫刻もある。結構リアルで、写真を撮らせてもらったことがある。
 そして自分も同じように思案気な顔をして、横に座らしてもらったりしていた。結構サンフランシスコの人はそう言ったユーモアのセンスもあり、カリフォルニアならではなのか、明るくて元気が出るアート作品が多かった。
 彫刻ではないが、彫刻ぽく銀色に色を塗ってじっとしていて、お客さんが見るとたまにロボットのように動いてパフォーマンスをしている人たちもいる。古めかしい服の上から銀の絵の具を塗り、銀色の彫刻を演じている。自己流の男性もいれば、芸大の演劇科で腕試しのバイトをしている風の人たちもいる。
 他には「ブッシュマン」という体に草をつけて手にもヤシの葉を持って、フィッシャーマンズワーフのあたりで、人を驚かせている人がいる。横から見たらバレバレで観光客に「わかってるで」とか「変なおじさん」と引かれているが、近隣の人には親しみも込めて「ブッシュマン」の愛称で呼ばれている。気の毒がってチップを入れて行く人もいる。毎日決まったようにいるので、いなけりゃいないで、(今日はどうしたんだろう?)と思ったりする。

 最近、市庁舎などに日本でも馴染みになった、光のアートもされるようになった。建物や彫刻そのものに映像を投影したり、電灯をつけて彫刻を際立たせている。

11/21/2017

壁画アート (mural)

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壁画アート (mural) 

サンフランシスコといえば、ビクトリアンハウスやケーブルカーやクラムチャウダーとか色々名物があるが、壁画がやたらと多い。それを撮った本もたくさん出ている。壁画は公共のビル、アパートのビルの壁、店舗などの巨大なものから、個人の家の前といった小さいものまである。私はサンフランシスコに来るまで mural (ミューラル=壁画)という言葉を知らなかったが、友達が壁画を題材に英語のエッセイを書かないといけない、と言っていたのをきっかけに一緒に見に言って知ることになる。芸大の美術学科でも何年か前から壁画の授業があって、そこここに学生の描いた絵もある。サンフランシスコの街中で壁画は見られるが、やはりミッション地区は一番多いと思う。NPOで壁画アーチストが運営するプレシタアイズ (Precita Eyes Mural Arts & Visitor Center) という場所がミッション地区にあり、観光客相手に壁画を案内したり、壁画の注文を請け負ったりしていて、壁画アーチストと街を結ぶ働きをしている。まだまだ見てない壁画があり、探して回るのも面白い。

 一番のお気に入りは、San Francisco Art Instituteという芸大の中と、コイトタワーという火の見櫓の1階にある、ディエゴ・リベラの壁画。歴史があり、テンペラという絵の具で書かれている。構図も内容もストーリー性があり、カリフォルニアや、ベイエリア周辺の歴史が描かれている。建物のくぼみや窓を利用して立体的に描かれているのも彼ならではのテクニックだ。


 それに反して、無名のアーチストや学生が描いているものも沢山ある。ミッション地区は以前は危ないところとされていて、路地裏に描いてあるグラフィティを消して、若いアーチストが壁画を描いているところがいくつかある。その中でも有名なのはミッション通り沿いの17と18ストリートの間のクラリオン アレー (Clarion Alley)という路地。最近は観光客にも知れ渡ってアジア人からヨーローッパ人の観光客も見かけた。そこに住んでいる住民でアーチストの人がいて、路地側に面しているガレージをアトリエにして、自分の作品を飾ったり、ポストカードを売ったりしていた。彼らはもう何十年もそこに住んでいるようだが、「ミッション地区の地価が上がってしまって、引っ越しもできない。今は月2000ドルでは済まないよ。」と言っていたので、びっくりした。私がシェアーして住んでいた頃2001年ぐらいの頃は、月3−4万のアパートもあった。そこの壁画はどちらかというとポップアートというか現代アート的な感じのが多かった。そこを取り仕切っている男性がいて、話を聞いてみた。「プレシタアイズと知り合いなのか?」、と。「プレシタアイズに習った部分はあるが、自分達でやっている。」と言っていた。男性一人で描いていたが、側に葉っぱを吸っている友人らしいごつい黒人男性がいて、ちょっと長話はためらわれた。多分プロジェクトがあって、他のアーチストも募って、古いのを消して新しいのを描いているので、いつ来ても違うのが見れる。そうやって、観光客がひっきりなしに来ることで危ない路地も安全な場所になる。日本では逆に壁画が悪者扱いされて、絵の内容によっては子供の親が教育委員会などに通報することもある。サンフランシスコでは逆で、アートが街中にあることで安全な社会を作ろうとしている。学校の中にも子供たちが絵を描いているところもあり、共働きやシングルペアレントの子供が壁画を描いたりと、非行を防ぐプロジェクトもある。

11/16/2017

カメラ屋さん

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カメラ屋さん



 2000年に奨学金で留学していた時は、写真学科に所属していた。それまでも95’年ぐらいから自分で一眼レフを勉強して、旅行してはコンテストに送ったりしていた。当時は旅行写真家に憧れていた。まだフィルムカメラ全盛期だ。
最初は学校で教えてもらったメインキャンパスの近くのAdolf Gasserに行っていた。そこの人とも知り合いになって、よく行き来していた。初めて、そこで買い物した時覚えているのが、
Do you ring it? という言葉。当時は意味がわからず適当に答えていたが、住んでいくうちに、リング(鳴らす)という言葉がクレジットカードを使う、という言葉だとわかった。アメリカではカードより、チェックが多かったが、クレジット機能付きデビットカードを使う時は、「イエス」、と返事していた。Ringという言葉を聞くたびにその店で最初に言われたことを思い出す。

 いつからか忘れたが、街を知るうちに、アジア系のカメラ屋があることを知った。学校では自分で現像したりしていたが、趣味で撮る写真もあったりして、学校の課題以外では現像、プリントをやってもらっていた。

 中国系の現像屋さん。マーケットストリート沿いにあって、結構大きくてカメラも売って、現像もやっていた。そこのいいところはとにかく現像が早い。それからフィルムの本数が多いと負けてくれたりしていた。中国系の人でも無愛想な店員とかは中華街行くとあるが、(大抵は英語が出来ないから中国語を話せない人を嫌うせいだ)そこの店員さんは愛想も良くて親切だった。リーボックか何かの隣で、分かりやすいところにあったので、よく行っていた。大抵同じ店員さんに会うと、「ハーイ!」と挨拶していた。

 韓国系の現像屋さん。ポークストリート沿いにあり、韓国人の落ち着いた感じのおじさんが一人でやっていた。そこも販売も現像もしていて、おまけしてくれたりしていた。一人なので、お客がいない時は色々と教えてくれていて、何か優しいお父さんのような感じで、そこもポークストリートに行く時はよく寄っていた。少し韓国語なまりの英語を話していた。

 同じ通りにはイタリア系の現像屋さんもいた。そこも行ったことが何回かある。道の角に大工道具やがあり、そこの隣にあった記憶がある。向かいが良く行く中国系のスーパーで好きなエリアだった。イタリア系のゲイの店員さんだったか、おしゃべりが好きでたわいもない話をしていたのを覚えている。


今はスマホ時代。フィルムカメラ自体使う人があまりいなくなってしまった。私が行っていたこれらの現像屋は閉じてしまっているようだが、写真を勉強している芸大生も多いし、プロの写真家も多い街なので、幾つか他の店はレンタル現像所兼カメラ屋として頑張っているようだ。

11/15/2017

ノブヒルはスノブヒル

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ノブヒルはスノブヒル


 サンフランシスコで「下町」というと坂の下にあるからdowntown、坂の上の方にあるのはuptown と言って高級住宅街になる。一概に、高低差だけで言えない地区もあるが、ケーブルカー乗り場の裏手から市庁舎にかけてはテンダーロイン(まさに肉のほとばしる危険なところという意味合い)と呼ばれる地区で、柵がしてある公園もそういうエリアにある。一概に危ないとは言えないが、黒人やマイノリティーの貧困層が住んでいて、ドラッグを売り買いしている人もいる。

 ポークストリートはそれらの通りと交わって、フィッシャーマンズ・ワーフに上がっていく通り。いろいろな店が並んでいる通りだが、上がっていくに従って、店がおしゃれになっていくのが目に見えてわかる。店の物価も一概には言えないが高くなっていく。アパートの家賃も場所によって変わっていくため、家探しは、地区の物価と安全性と合わせて探していた。留学していた学校がdowntownにあったため、いわゆる市の中心になるだけ近いところで安いところを探していたが、離れた州立大辺りの家賃も安いので、そこでハウスシェアしてダウンタウンまで通っている生徒も結構いた。

 私は何回か引越しをして、結局家賃の安いテンダーロインエリアのアパートに住んでいたが、買い物をするのはCalifornia 通りあたりにあるアメリカ系や中国系のスーパーを利用していた。空いている時間を見つけて週1程度でまとめ買いして、後は同居していた連れが安く食べ物を仕入れてきてくれていた。

 ある日、気が向いて、それを通り越したちょっとおしゃれな小さなスーパーに入ってみた。オーガニック製品などセレクトされた品があって良かった気がする。なぜか精肉のところに行って値段を見ていて、いつも買っているスーパーの2、3倍の値段はしたのでびっくりした顔をして立っていた。そこにいた店員の顔を見ると、「お前には買えないだろう。」的な顔で笑っていた。私はなぜか恥ずかしくなって、その場を離れてしまった。くそ、いつかは私も坂の上側で気軽に買い物が出来るようになるから。。と少し悔しい気持ちが湧いた。

 後で、同居人に聞くと、彼のいつも買っている肉は安くて硬い肉でそういうところの肉は柔らかいそうだ。やっぱり、品質で値段や売る場所が違うようだ。

  よく下町の人間は気さくで、高級なエリアに行くと人もツンとしている、みたいなことがあるが、California 通り、Broadway 通りのエリアはNob Hill (ノブ ヒル)というが通称snob (スノブ)(気取った)をかけたSnob Hill(スノブ ヒル)と言われているそうだ。他の下町の人もそう思っているのだろう。Marina(ヨットハーバー)にほど近いテレビドラマにもなったPacific Heights (パシフィック ハイツ、通称パックハイツ)に3ブロックほどの商店街があるが、すごく落ち着いて、大人の感じのする、店やブティックが並んでいたが、ちょっと一人では入りづらい気取った雰囲気があったのを覚えている。

 1度行ったきりだが、また行ってマッタリしたい、と常に憧れの場所だった。


 サンフランシスコの郊外まで行ったわけではないが、最近では貧困地区だったMission地区も高級レストランやブテックやコンドミニアムが並んでいる。古い店も残っていて、いろんな人が歩いている。日本のガイドブックにもオシャレスポットとして紹介しているほどで、以前友人に、「ドラッグの売り買いをしているからミッションは行かない方がいいよ。」と言われたのが嘘のようだ。地価の高騰で店を閉めてベイエリアの郊外の市に移住してしまったオーナーも多いため、ミッションはラテン系の貧困地区としての認識が薄くなっているが、ラテン系住民は、ミッション通り沿いに南下していくか、他の市に移っている人が多いようだった。

 サンフランシスコのあちこちの地域で元あった安い店がなくなってしまって、多くの人が「サンフランシスコは高くて住めない。」と言っていた。残っているのはレントコントロールで昔の家賃で住んでいる人か、仕事や事業がうまくいっている人か、シェアハウスをしている学生や観光客などになる。

サンフランシスコの 公園の柵

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公園の柵


最初に雨宿りをして柵をしている店の中から怒鳴られた、ということを書いたが、アパートや店の前に鉄格子があるところはいわゆる「危険地帯」の意味合いがあるとしたら、公園も同じように見分けられる。サンフランシスコには大小様々な公園があって、芝生があって、気楽に寝転がったり、犬の散歩をしている公園があると思えば、一区画の小さな土地に遊具があって、子供を遊ばせるようになっているが、柵をしてあって、あまり人がいない公園もある。公園には名前も付いてあり、柵のデザインもバラの形だったり綺麗なのに場所があまりよくないため、人が寄り付かないのだ。結局そういうエリアに住んでいる子供は学校や、もっと安全な地区の公園で遊ばせたり、海や人の多いショッピングエリアにいることがある。鉄格子がある、ということは夜になったら危ないので錠がされてしまうのだ。基本的にサンフランシスコの夜は涼しいので外にはいないが、鍵がかけられて使われない公園ってなんだか、持て余して切ない気がする。多分下町の貧困をなくさないとこの状況は無くならないんだと思う。



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