12/29/2014

SF アムトラック乗り場

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     アムトラック乗り場
 
 アムトラックはアメリカの大陸横断鉄道。2階建てのディーゼル車で普通車、食堂車、寝台車、展望車(サロンカー)を連ねて何日もかけて大陸を縦断したり横断したり。サンフランシスコからアムトラックを利用して行けるルートはカリフォルニアゼファー (California Zephyr)のシカゴ方面、コーストスターライト(Coast Starlight)の海沿いに走ってロサンゼルスに行くルート。また、サンホワキン (San Joaquin) の谷を抜けてベーカーズフィールド(ロサンゼルスとのちょうど中間地点の都市)に行くルートがある。
 
 アムトラックの列車自体はサンフランシスコ市内に乗り入れしていない。イーストベイのオークランド市のエメリービル駅が終着(始発)駅になり、そこからサンフランシスコ行きのバスが出ていて、フェリーターミナルのアムトラックのチケット売り場前、フィッシャーマンズワーフ、ユニオン スクエアー、マーケットストリートなどの主要な場所やホテル前がバス停になっている。列車のチケットは市内、エメリービル駅間のバス代は含まれているが、バスのドライバーがいろいろサービスしてくれるので、降りる際にドライバーにチップを払う。道中冗談を言いながらガイドしてくれたり、荷物を運んでくれたり、好きな所で降ろしてくれる。フェリーターミナルは船だけではなく、アムトラックの窓口があるため列車の旅の入り口でもある。


 カリフォルニアゼファー号はサクラメントを通る。サクラメントはカリフォルニア州の州都だが大都市というより古都という感じで、歴史地区があり、その3つの路線の乗り換え地点にもなっている。途中にタホ湖という湖(Lake Tahoe)やカジノリゾートのリノがある。レイクタホやリノは北カリフォルニア住民が気軽に行けるリゾート地。サンフランシスコからもラテン系住民が週末に乗り合わせてツアーに行ったりするのを見た。サンフランシスコに来た当初は、(ラテン系移民は貧困で旅行すらする余裕もないのでは?) と勝手な憶測をしていたが、メキシコ系のツアー会社がちゃんとあって、格安で行き来していた。「ラテン系のシニア層の趣味の旅行」といった感じ。日本でもシニア層をターゲットにした格安バス旅行はある。どこも変わらない。

 コーストスターライトは、カリフォルニア縦断に好んで利用していた路線。中西部から別のアムトラック路線に乗り、終点のロスで乗り換えて、ロスからサンフランシスコ迄行ったりしていた。ロス - サンフランシスコ間は1日半位かかるが、農場が広がる内陸と海外線が広がる海の両方を眺める事が出来る。車掌さんもフレンドリーなので一向に飽きない。途中、『怒りのブドウ』などでも有名な作家、ジョン スタインベックの元自宅がある事で知られている、サリーナスを通過する。サリーナスはイチゴ畑などがある農場地帯。メキシコ人や日系人などの農家がいる。サンフランシスコ市内でやっているファーマーズマーケットでも、イチゴ農家の人達がサリーナスから出店しに来ている。また、サリーナス駅からは、観光地でも有名なモントレーやカーメルに行くバスが接続している。

 サンホワキン線はMarced(マーシド)で乗り換えるとヨセミテ国立公園行きのバスが出ているし、Martinez(マルティネス)からはSix Flag(シックスフラッグという遊園地チェーン)行きのバスが出ているので地元の家族連れにも人気の路線だ。この路線はFreeway #5(国道5号線)と重なっていて、大抵は車で行く人が多いが、道中でお酒を飲みたい人や子供だけの旅行などでは意外とこういった電車やバスが使われる事がある。自然が多く、農場や牧畜地帯も多いため、貨物列車が多い線路だ。

参考サイト
Amtrak
http://www.amtrak.com/san-francisco-bay-area-northern-california-train-routes

12/28/2014

サンフランシスコ 船通勤

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              船通勤

 フィッシャーマンズワーフからのサンフランシスコの観光。アルカトラズ島やエンジェルアイランドのなどの近郊の島や、対岸のソルサリートというオシャレな街に行ったりするツアーがある。それもあってピア39 (埠頭) はいつも観光客で賑わっている。だが、サンフランシスコ対岸のノースベイやイーストベイから地元の人達が船を通勤に使っているのはあまり知られていないかも知れない。サンフランシスコ市内は徒歩や電車やバスで廻れるが、一旦市街に出ると車がないとかなり不便だ。サンフランシスコを含むベイエリアは、ノースベイやイーストベイの各市はベットタウンになっていて、個建ての住宅が立ち並んでいる。そこから仕事や学校に通うため、サンフランシスコ迄通って来る人も多い。
 
 サンフランシスコ市の家賃の高騰などの理由で、サウスサンフランシスコなどのサウスベイ、オークランドやバークレーなどのイーストベイに引っ越した人達がいる。元々はサンフランシスコに住んで市内の職場や学校に通っていたので、引っ越し先から1時間かけて、車や電車やバスなどを使って通ってくる。通勤風景は日本の通勤ラッシュの感じとほとんど変わらない。渋滞や交通機関の混雑があるので、朝早起きをして、疲れて眠そうにしたり、せかせかしたりしている。そんななかフェリー会社は、道中の気楽さや渋滞がないことを広告で強調して、フェリー通勤を推奨して来た。「車で渋滞している間に船の中でゆっくり朝のコーヒーはいかが!」、と。バートの電車は、時期によってストやメンテナンスで本数を減らす時もあるので、船は代替の役割も果たす。島国の日本だが、船の通勤風景はあまり見かけないないことなので、「船で通勤」、というだけでのどかな感じがする。

 通勤の苦労を避けるためもあってか、最近はバークレーやオークランド市の中にもオシャレなショップやレストランが連なる地区も増えて来て、商業地区が郊外にも移りつつあるようだ。今迄オークランド市=「黒人や低所得者層がいる犯罪が多い場所」のイメージだったが、よく聞くと、それはWest Oaklandだけで、他の場所では白人やいろんな人種が混じって普通のオシャレなベイエリアの都市になりつつあるようだ。私が滞在中、オークランド空港迄BARTの電車のコロセウム駅から新たに空港行きの無人電車が開通した。サンフランシスコ航空やサンホセ空港に次ぐ国内線空港としてより発展して行きそうな予感だ。

参考サイト
サンフランシスコフェリー情報

This is Oakland


12/27/2014

フェリーターミナル

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       フェリーターミナル
 
 日本からサンフランシスコに来た時、アメリカ国内を旅してサンフランシスコ戻って来た時、バスや電車がサンフランシスコ市内に入って来た途端に、「戻って来た!」、という懐かしい感じがする。何回も行き来していて、第2の故郷のように思っているからだと思う。一番そう感じるのは、車でベイブリッジを渡って市内に入る時に、橋の鉄骨の間からフェリービルディングの時計台が見えた時。サンフランシスコというと、ゴールデンゲートブリッジや、トランスピラミッドなどランドマーク的な建物が幾つかあるが、フェリー乗り場の建物が見えた時に一番帰ってきた感じがする。意外と知られていないかも知れないが、フェリービルディングのビルの両側には、Port of San Francisco(サンフランシスコ港)という文字がかかっていて、マーケットストリート側の建物の入り口だけでなく、ベイブリッジの橋の上や、船上からでも乗客にも見えるようになっている。懐かしく感じるのは、フェリービルには歴史があって、飛行場が出来る以前から市内への入り口としての役割があるためだろう。サンフランシスコ港は、1898年から開港した時から、カリフォルニアの東側から列車や船でやって来た人、海外から移民船に乗って来た人が絶えず通過してきた場所になっている。「帰って来た!」とか「やって来た!」という感じを一番感じるのは、夜のライトアップで時計台が淡いオレンジで浮かび上がっている時。街の夜景の先頭に建って、Welcome!と言ってくれている感じがする。

 一度満月の夜に、写真撮影の練習も兼ねてフェリービルで、満月と建物を一緒に入れて撮影していたことがある。撮影は寒くて風が吹いていてうまく行かなかったが、かもめがコンクリートの上に留っていたのもフレームに入って、港からの満月はノスタルジーを感じた。

 ベイブリッジは、20139月から橋の架け替えの工事が始まり、2014年の時点で、半分は新しい橋を使っている。新しくなったのは橋だけではない。アーチスト、レオビラレアルの”The Bay Lights project” (ベイ ライツ プロジェクト)という作品は、新しいベイブリッジにLEDライトにコンピュータ制御された、幻想的で絶え間ない光の造形を施し、フェリーターミナルから見る景色は今迄とは違ったオシャレなものになっていた。友人の車でドライブしている時に教えてもらい、橋に光の魚が泳いでいるのを見た。次回はもっとゆっくり見てみたい。だがこのショーは2013年の3月から2015年の3月迄だったが、2016年に再開されるように要望を出されているそうなので、今頃はまたライトアップが続いていることだろう。

参考サイト
Ferry Building: History
http://www.ferrybuildingmarketplace.com/history.php
25,000 LEDs Illuminate The San Francisco Bay Bridge
https://vimeo.com/62821199
The Bay Lights official website
http://thebaylights.org

12/08/2014

サンフランシスコのストリートミュージシャン

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    ストリートミュージシャン
 
 ストリートミュージシャンはストリートアーチストと比べて市の機関などに登録しないでいきなり駅の構内などに行って演奏している事が多い。移民系のミュージシャン。パウエル駅の地下にいた中国人の胡弓弾きフィッシャーマンズワーフのカニの看板の付近にいたペルーやボリビア人の民族楽器奏者。パウエル駅の外のブティック前にいた黒人のバンド。学生なのか夜に電気屋の外に来ていた黒人のバンドと日本人女性のボーカル。シビックセンターの地下通路にいた白人男性のアコーディオン演奏。この人は早朝の通学時に見かけた。2015年、5年ぶりにフィッシャーマンズワーフやパウエル駅周辺を廻ってみたが、前からいた人はバケツをドラム代わりに叩く黒人男性ぐらいか。大分いなくなったり、交代したりしている。景気とともに、以前からあった個人商店がなくなったりしている現象と比例しているようだ。正直音楽のクオリティーも以前程、「うーん」という感じ。バケツのドラマーは、ダウンタウンのメーシーズ付近から、エンバカデーロ通りのジャスティン ハーマン プラザに移動していた。ファーマーズマーケットは定期的にあるし、オフシーズンはそちらの方が人が集まることもある。ミッション地区の、16 ストリート駅の地下にもミュージシャンはいた。ミッション地区は、ラテン系移民がたくさん住んでいるのでマリアッチのバイオリンやキーボード弾きがいた。テロの後、経済が悪くなって来てからは白人も安い家賃を目指してミッション地区に移動して来たようで、ヘイト&アシュベリー並みの若者のポップカルチャー系の街になっていて、日本のガイドブックにものったりしている。そのため、最近は若い白人のミュージシャンも駅のそばで演奏している。基本的にはライセンスがないとストリートや駅構内で営業をしてはいけないことになっているが、日本と比べてストリートミュージシャンの規制は厳しくなく、毎日同じ所に来て演奏している人をよく見かけた。普通はチップや自作のCDを売って生計を立てている。縄張り争いにならないように、暗黙の了解で、それぞれに場所を決めてパフォーマンスしていた。
 最近はフードトラックやフードベンダー(食べ物屋台)が増えていて、様々なストリートビジネスで歩道の取り合いになっている感じがした。ジャンルは違うが客は使う小遣いが限られているので大変だと思う。ストリートフードは専門の機関が特定の場所で売っている所もある。それとは別にサンフランシスコ市内ではストリート フェアーという、エリアごとの歩行者天国のお祭りが毎週と言っていいほどある。それぞれに地区の特色があってどこに行っても楽しい。ストリート フェアーには、そのイベントに登録したミュージシャンが演奏していて、無料で見る事が出来る。イベント機関がスポンサーや寄付を募ってするイベントなので、さすがに音楽機材も、歌っているミュージシャンも、クオリティーが高い。だが、路上で許可なく演奏しているストリートミュージシャン達には、そういった正式なイベントに登録する経済的な余裕はない。ストリートアーチストが、路上のハンドメイドとギャラリーのアート作品の値段やチャンスに差があるのと同じだ。
 
 以前サンフランシスコのAcademy of Art University (アカデミーオブアートユニバーシティー)で写真のクラスを取っていた時、フィッシャーマンズワーフで演奏しているペルー人に頼んで写真を撮らせてもらった。テンガロンハットを目深にかぶり、シャイだけどクールな感じでギターを弾いていた。一人の時もあればインディオのパートナーと一緒に歌っている時もあった。何回か通っているうちに名刺を交換して、名前を教えてもらった。オークランドに住んで音楽をやっていたようだった。「ワイケチャ」と書いてあった。何年か後でフィッシャーマンズ ワーフに行った時に、その人を捜して、他のストリートミュージシャンに「ワイケチャ知ってる?」と聞いたら、「国に帰っている」と言われた。逆に「どうして、彼の先住民の名前を知っているのか?」と聞かれた。移民の人はアメリカ人っぽいニックネームを名乗り、本名や先住民の名前を名乗りたがらない事がある。これはストリートアーチストも同じ。みんなニックネームを持っていた。だから初めて会う、いわゆる「一見さん」の観光客に本名を明かす事はない。滅多に人に教えない先住民の名前を教えてくれた、と後で知って、ちょっと彼らと馴染んだ気になった。2014年11月に渡米した時に廻ってみた時も彼らはいなかった。既にペルーに戻っているのだろうか

参考サイト
ストリートフェアースケジュール

sf station.com


12/05/2014

ヒッピーMさん

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edited San Francisco essay
サンフランシスコエッセイ編集しました。

     ヒッピーMさん  
 
 ストリートアーチストにはいろんな人種、民族の人がいる。(アート屋台をやっている人、という意味で別名アートベンダーともいう)アメリカ人アーチストはもとより、メキシコ人、ペルー人、キューバ人などのラテンアメリカ系移民、中国系(ほとんどが南部の広東語圏の人達だが北京からの美術学校出身者も)、ロシア人などの東欧系やアフリカからの移民もいる。まさに世界の縮図のよう。


 私がストリートアーチスト達と知り合った当初はいなかったが、日本に帰国して再度サンフランシスコを訪れた時に、日本人にも会った。仮にMさんと呼ぶが、(2014年現在)70代位のストリートアーチストのベテラン。最初に会えなかったのは、心臓を悪くして入院していたからだ。その時の後遺症で片耳が聞こえない。以前は美術を勉強しにフランスなどにも行ったが、彼の時代はヨーロッパにも今以上アジア人差別があり、ニューヨークに渡って来たらしい。詳細はわからないが結果的に波瀾万丈な人生があり、サンフランシスコの北部のナパバレーの日本食堂でバイトしているというようなことも聞いた。今は70だが40代の白人の彼女がいて、彼女と住んでいるらしい。

 ヒッピーのように一人で世界中彷徨っていたが、実は日本に奥さんも子供もいて、失踪状態になっていた。海外に失踪しているお父さん、ってどんな感じだろうか?長年日本を離れて、親類の都合で一時帰国した際には、Mさんは死んだ事になっていて、お葬式もすませてお墓もあったらしい。そのため、戸籍もなくなっていて、日本に戻った時に戸籍復帰の手続きをしたという。死体もないのに勝手に戸籍が消されるなんて日本の役所も怖い。 

 Mさんは格好もヒッピーっぽく、皮のテンガロンハットに皮のベストを羽織り、ごつい指輪をしていつも葉っぱを吸っている。隣で売っている知り合いが、臭いが伝わって来るので分かると言っていた。いつも吸っているがおかしくなっている感じでも危険でもない。時折話が堂々巡りしたり、笑い出したりすることはある。1セントコインを加工してネックレスなどを作って売っている。たまに日本語を話したい時に、気晴らしに話しかける。知り合いとは20年来の友達らしく、快くしてくれる。祖父と同じ名前なので多少親近感があった。訪ねた時、通りがかった人が、ちゃんと並べている商品をグシャグシャにしていき、機嫌を悪くしていたので、一緒に並べ直してあげたことがあった。周りにはいろんな人が通り、商品を触られたり、取られたりする事が日常的にあるので、気を張っていないといけない。東京の出身らしいが、長いこと日本に帰っていないので今の日本のことはあまり知らない。でもジャパンタウンなどに日本語のフリーペーパがあるので、基本的な情報は理解しているようだった。話をすると、「あの芸能人はどうしてる?」、とか聞いてきたりしていた。



Okami って名前が。。。(=_=;)
(写真は文章の内容とは関係ありません。。)


12/03/2014

More about street artists(ストリートアーチスト)

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     More about street artists
    (ストリートアーチストの基礎知識)

 
 「ストリートアーチスト」という言葉は日本ではあまり使われない。なんか「路上バンド」のイメージがするんじゃないかと思う。最近はアートマーケットのようなイベントが日本各地で行われている。出店者と話すと、各地のアートマーケットを廻って生計を立てている人もいたが、まだ一般的に「ストリートアーチスト」、とか「アート屋台」「ハンドメイド屋台」みたいなジャンルは、職業ではなく、趣味的にしかられていないのではないかと思う。


 アメリカでもどこの街でもある訳ではないが、フランスやメキシコでも野外で絵画を売って生計を立てているアーチストがいる。サンフランシスコの建築などもヨーロッパの影響を受けていて、市全体にパブリックアートや壁画が多くあったり、美術館や美術学校が多くあったりして、クリエイティブな雰囲気が漂っている。サンフランシスコ市でもアートコミッション(美術委員会)が「ストリートアートプログラム」を企画、運営している。趣旨はストリートアーチストが自分で創ったものを売って観光客や市民を盛り上げること。日本でイベント的にやっているような、年に数回とか1ヶ月に1回のペースではなく、毎日決まった場所で、決まった時間に出店する。毎日出店するかどうかは出店者次第だが、それで生計をたてている限り、毎日出ないと生活が成り立たないので、大抵の登録者はそれが職業かのように出てくる。夫婦や家族でやっている場合は、家族が他の仕事をしている場合もある。ただ現地の人も一般的にストリートアーチストが、「それだけで生計を立てている」とか、「屋台収入だけの所得で税金を払っている」というと、ビックリする人もいる。

 ライセンス(出店証明書)を取るには、市庁舎にあるアートコミッションで面談をして、コミッションのメンバーの目の前で作品を制作するか、写真や絵画などは出来た作品を見せて、自分で創った作品ということを証明し、販売する作品のジャンルを登録する。証明書には売る物が書かれるので、それ意外は売ってはいけない。売る物を変える時はまた同じように作品を見せに行く。ライセンスがもらえれば誰でも売ることが出来る。誰でもと言うのは本当に誰でも。人種、学歴、ビザの有無すら気にされない。しかし指定以外の場所で販売したり、手作り以外の物を売ったりすると、最初は厳重注意だけだが、続けているとライセンスを取り消される。その時に、もちろん不法滞在であることが見つかると、国外追放になることもある。それでも簡単に誰でも販売許可が下りるので、多くの移民達が、ストリートアーチストになりたがる。

 売れる場所は、パウエル駅周辺、エンバーカデロ (Embarcadero) 駅上、メーシーズデパート横(ユニオンスクエアー手前)、チャイナタウンゲートの近く、フェリービルディング向いのジャスティンハーマンプラザ (Justin Herman Plaza)、ギラデリスクエアの向いのビクトリアンパーク (Victorian Park) などと場所が決まっている。毎朝アーチストが自主的に集まって、くじ引きで場所取りをする。道路上に番号が書いてあり、くじ引きで決まった番号の所で売るシステムになっている。販売時間は昼の12時から6時位だがコミッションで月単位、半年単位でライセンス代(出店料)を払っているため、来る日や時間は人それぞれ。屋台の大きさ、車の有無などによっても開店の時間は変わってくる。パウエル駅周辺は、アクセサリーなどの雑貨、ジャスティン ハーマンプラザは絵や写真や服飾、ビクトリアン パークでも絵や写真があるが、観光客相手の似顔絵描きも多い。ジャンル分けはコミッションで指定されている訳ではないが、暗黙の了解で同じところで同じジャンルの作家が集まっている。絵や写真のテーマは、やはりサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ、アラモスクエアーのビクトリアンハウス、チャイナタウン、などのサンフランシスコの観光地の作品が多い。

 そんな成り行きも知った上で、いろいろなエリアを廻って気軽にアートマーケットを見てみるのも面白いと思う。

参照
- sf art commission street art program
- サンフランシスコの市街地図
- アートベンダーの知合い



12/02/2014

ケーブルカーの裏側

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ケーブルカーの裏側

 サンフランシスコ観光の目玉の一つに、『ケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフに行く』、というのが定番である。(フィッシャーマンズワーフ)は「漁師の埠頭」という意味。観光地として有名だか、元々はイタリア系移民がカニやホタテなどを採っている漁場。大抵の観光客はダウンタウンのメインストリート、マーケット通り(Market street)と、パウエル通り(Powell street) にあるケーブルカー乗場の終点で列を作っている。日本のテレビのロケでも観光客達が並んでいるところや、ケーブルカーを車掌さんが回転させているところを撮影しているのをよくみる。(回転させる場所 = cable car turnabout)実際にはパウエル通り沿いをユニオンスクエアーの方に向かって散策しながら登って行くと、途中にも乗り場があり、そこには待っている人が少ないので、座るかどうかを気にしなければ待たなくて乗れる。

 観光客が多いところに行くのは苦手なので、滅多にフィッシャーマンズワーフには行かない。売っているものはお土産ばかりだし高い。普通、服や生活用品を買うならローカルの人が住んでいる、他のエリアで買うのがいい。サンフランシスコには個人経営のデザイナーブティックも多いし、現地の流行のおしゃれが出来る。でも、住んでいた時は、勉強の気晴らしに、家の近くのバス停からPolk street(ポークストリート)を通るバスに乗って、たまにフィッシャーマンズワーフに海を見に行っていた。ポークストリートは広いバンネスストリートを通るバスよりは時間はかかるが、(スノブヒル(注釈1)と言われる高級アパート街の)ノブヒルを越えて、カリフォルニアストリート辺りからオシャレな店が多くなるので、乗っていて楽しい。旅行者のフリをしてケーブルカーに乗ったり、バスを使ってチャイナタウンを通って行ったり、トローリー(路面電車)でマーケットストリートの突き当たりからフェリービルディングで北に曲がり、ピア(桟橋)沿いを行ったりすることもあった。どこを通っても景色は良く、住んでいてもいつも観光気分になるが、観光客が少ないバスに乗る方が込んでなくてのんびりした気分になった。

 ケーブルカー乗場に近い地下鉄BARTPowell(パウエル)駅は、空港からやってくる観光客が多く降りてくる駅でもあり、ホテルも集中している。周りにデパートやブランド店、アップルなどの有名メーカーの店、美術館、映画館、美術学校など、文化施設も集中している。ケーブルカー乗り場の裏手は、通称Hallidie Plaza(ヒリディープラザ)という。そこには、ストリートアーチストや、ストリートミュージシャンが、観光客相手に生活している。手づくり品を売っているストリートアーチスト達は、サンフランシスコアートコミッション(サンフランシスコ市関連団体で市の芸術•文化の活動、支援を行っている)で、ライセンス(出店許可証)をもらって毎日売っている。だがストリートミュージシャンは無許可でやっている人が多く、時折警察に注意されて追い出されることもある。普段はほぼ黙認状態だ。彼らは演奏やパフォーマンスのチップで生計を立てている。アート系屋台の背後には、hobos(ホボス)といわれる、1日中ぶらぶらしたり、徒党を組んで周りの店から商品を盗んで生活したりしている人達、トローリー乗り場の前の公衆トイレで麻薬を吸っている常習者、声を上げてBig Issueを売っているホームレスなどがいる。麻薬常習者は、人恋しいのかいつも人が集まるmarket streetに来て吸っている。明らかに中毒の人がいるが、警察がパトロールしていても、グループで無駄話してばかりで、大した事件が起こらない限りただ見ているだけ。いろんな通りで、大麻っぽい臭いがするし、日本の麻薬に対する厳しさと比べて全てがゆるい。そういうのもサンフランシスコの寛容さかと感じた。いつもパウエル駅のエスカレーターの下でビックイシューを売っていた、麻薬常習者のホームレスの女性がいた。私が2014年に訪れて、空港から着いた日には違う男性が売っていた。ホームレスは生活保護をもらっているのだが、生活保護費でまたドラッグを買ってしまう人が多いと聞く。外に出て来たと思っても、また具合を悪くしてしまう事がある。「地球の歩き方」にはこの「ケーブルカーの裏側」には近づかない方がいい、と書いてある。ただ客観的にいつも見て来たり、実際に「裏側」の人達に声をかけて来た立場からしたら、彼らもフレンドリーな住人だと思う。


注釈: 1.「スノブヒル」の「スノブ」は「気取っている」、という意味。

12/01/2014

雨宿り 

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 サンフランシスコは、霧がよく出る気候なので雨もよく降る。特に十二月から二月ぐらいにかけての冬の間はrainy season(雨期)と言われ、雨がよく降って寒かった。来たばかりの時は、そういう気候のこともよく知らずに、急に雨に降られてうろたえていた。

 ある時、学校の帰りだったか、テンダーロインのポークストリートのあまり治安の良くないエリアを歩いていると雨が降って来た。アラブ系の店の鉄格子の入り口の前に少しスペースが空いていたので、雨宿りをしようと立ち止まった。すると、中から(どんどん!)と音がしたのでびっくりして一歩下がったら、中から声がして、(英語で)「何をしてる! 出て行け!」と叫ぶ声がした。声だけで姿は見えない。その頑丈な鉄の引き戸は、来る物を拒む感じがあった。アメリカ人=フレンドリーというイメージがあったが、エリアによってはそうではない。エリアによってアパートや店の入り口に鉄格子がかかっているところと、かかっていないところがある。危険な所かどうかはそれをみれば何となく察知出来る。何年も住んだ後で、その辺りはドラックディーラーやホームレスがいるエリアで、歩いている時も多少警戒しなくてはいけないことがわかった。だからそこで商売をしている人も見知らぬ人を警戒していたのだろう。だが、住み始めた当初はどのエリアが危険かがわからなかっので、「出て行け!」と言われた意味がわからず、(ただ雨宿りさせてもらおうと思っただけなのに)、と不甲斐ない思いだった。


 「警戒している」、という意味では、マクドナルドなどのファーストフード店のトイレは、エリアによって鍵がかかっていて、レジで頼んで鍵をもらうか、トイレにクオーターコインを入れてドアを開けないと入れない所もある。マクドナルドなどのファーストフード店は、日本の様に(笑顔でサービス)というより、低所得者の寄り合い所的な、どんよりした雰囲気だ。だからいくら節約しようと思ってもあまりお勧めはしない。ただ、ピザ屋さんは格安で、イタリヤ系やアラブ系の人がやっていて、フレンドリーに対応していたので時々行っていた。私のお気に入りはパイナップルが入っていた、ハワイアンピッザだ。また、本屋や服屋では、バックパックを持っていると、入り口でバックを預けて、引き換えに番号札をもらって買い物するシステムの所もある。バックパックに商品を入れて万引きする人がいるためだが、店によっては人や持っている鞄をみて、「そのまま行っていいよ。」と言ってくれるところもある。

SF parking machine

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One of the SF parking machine.

これは何台かいっぺんに払うタイプ。
一つ一つの場所についている小さめのもあるが、最近はクレジットカードでも払えるタイプのが主流になっていた。コインがないから払えないとか、コインが途中で切れるとかいうことがなくなった。クレジットカードだと時間が過ぎたら自動的に追加料金が落ちる。駐車違反も少なくなるが、警察からしたら確実に収入が入って来るシステム。




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